毎月第1木曜日は「水谷幸志のジャズの肖像画よもやま話」を配信しています。
ハニーFMのフリーペーパー「HONEY」vol.12〜32に掲載されていた水谷さんのコラム「水谷幸志のジャズの肖像画」では書ききれなかったエピソードや時代背景などをゆったりと振り返りながらお送りします。
当時のコラムと合わせてお楽しみください。
「HONEY」vol.16
1988年の春、ドイツ・ハノーバーでのコンサートを終えたチェット・ベイカーは、何時ものアンダーグランドな安息を求め「ドラッグ常習者の聖地」アムステルダムを訪れる。5月13日の金曜日“キリスト昇天祭”を祝う賑わいも静まった未明、チェットはホテルの窓から転落、謎の死を遂げる。波乱に満ちた生涯は呆気なく幕を閉じるが、50年代の“ヤング・チェット”はクールでアンニュイ、危うげな青春の輝きに満ち、プーッと脹らませた頬までが艶やかだった。
そんなアメリカ西海岸発のお洒落な「ジャズと言う音楽」に私はすっかり嵌ってしまう。その頃のチェットは、ご多分に漏れずドラッグ渦に取り憑かれ、吟遊詩人のようにヨーロッパの街を漂泊する。彼を語る常套句は“長く生き過ぎた男”それ故か、230枚を超えるアルバムを遺す。これは膨大な数だが、薬を得るためのテイクも多く含まれている。だが、日本のファンを驚喜させた87年の「チェット・ベイカー・イン・トーキョー」を初め、晩年の幾枚かは50年代では味わえない凄みと枯れたロング・フレーズに心を揺さぶられる。そんなアルバムを私は良く手に取るようになった。どうやら彼の生き様に応えられる年になったようだ。年を重ねると言うことも悪くはない。
チェットは11か12才かの時トランペットを手にする。コードなどの難しい譜面を読めないがごく自然に耳から学ぶ。理論よりも天性のタイム感覚と、誰よりも感性に満ちた美しい旋律を奏でるトランペッターとして脚光を浴びる。60年代に入り致命的とも言える前歯を失うが、数年を費やし、唇に負担を掛けない新たなアンブシュア(マウスピースに当てる口の形)をマスターする。お陰でより温かく滋味溢れるフレーズと、中低音域のダークな音色を奏でるスペシャリストとして一層の磨をかける。最晩年の「マイ・フェイバリット・シングス ザ・ラスト・グレイト・コンサートvol.1」では、チェットは心の奥底に刻まれた深い襞を驚くほど素直に表す。それは、彼の生涯のレパートリーとなった“マイ・ファニー・バレンタイン”や“アイ・フォーリング・ラヴ・トゥ・イージリー”のバラードに耳を傾けると良く分かる。
諦観したかのように吹くフリューゲルは静かにくぐもる。まるで許しを請うかのような歌声は擦れて暗く沈み、その低い呟きは重たいブローのように強く胸を打つ。正にこれはチェットのレクイエム。この作品を聴くと、ハードでストイックとも言える自分流を貫いた男だけが醸す事ができる“人生そのものがジャズ”であり“ジャズはハートで歌うもの”と教えてくれる。…ロサンゼルス近郊にある公園墓地イングルウッド。その人気のない地に「伝説のトランペッター」チェット・ベイカーは眠っている…
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