2024年の「とっておきシネマ」のラストを飾るのは、柚木麻子原作、のん主演のコメディ映画『私にふさわしいホテル』です。単なる笑える作品ではなく、不遇な新人作家がズタボロになっても何度でも立ち上がり、成功を己の力で引き寄せていく奮闘ぶりに、驚き、笑い、スカッと元気をもらえる“痛快逆転下剋上”物語。
~シネマエッセイ~
東京に行くなら、ゴージャスな大型ホテルに宿泊するのもいいけれど、知る人ぞ知る“歴史と趣”のあるクラシックなホテルに泊まりたいと常々思っていた。神田駿河台の高台にある山の上ホテルは、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計によるアールデコ様式の建物。外観こそあっさりとしているが、内部はずっしりと重みのあるクラシックホテルだ。もう何十年も前のことゆえ、何の目的で東京に行ったのか定かではないが、友人と山の上ホテルのツインルームに泊まったことがある。かつて、このホテルには数多くの文豪作家が滞在し、書斎や別荘のように使われていたとか。活字中毒だった私は、雑誌か何かでこのホテルの存在を知り、若い頃から憧れていたのだった。スウィートルームなどに泊まれるはずもなく、ごくごく普通のツインルームだったが、さすがの落ち着き具合に心は舞い上がる。けれど、最も印象に残っているのは翌朝の朝食に出たプレーンヨーグルトである。私はそれまでヨーグルトを食べることができなかった。口に入れるまでは普通にできるのだが、気のせいか飲み込む時にクラッとめまいがするのだ。さて、デミタスカップに入れられ、朝食のテーブルの上にさりげなく置かれた山の上ホテルのヨーグルト。憧れのホテルでの朝食をすべて味わい尽くしたい……そんな思いでエイヤッとヨーグルトを口に入れてみた。するとまろやかな酸味のとろりとした個体が喉を爽やかに何の問題もなく通過していったのである。あの日を境に、私はヨーグルトが食べられるようになった。恐るべし、山の上ホテル!
映画『私にふさわしいホテル』は、その山の上ホテルに、まだ1冊も本を出していない新人作家がいかにもの態度でやってくるシーンから始まる。主人公のやさぐれっぷりが小気味いい。エンドロールで山の上ホテルの外観から客室まで、さまざまな写真が出てくる私の憧れのこのホテルが現在休館中というのが少し寂しいが、またいつの日かリフレッシュして再オープンしたら、ぜひとも訪れてみたい。
新人賞を受賞したにも関わらず、未だ単行本も出ない不遇な新人作家・相田大樹こと中島加代子。その原因は、大御所作家・東十条宗典の酷評だった。 文豪に愛された「山の上ホテル」に自腹で宿泊し、いつかこのホテルにふさわしい作家になりたいと夢見る加代子は、大学時代の先輩で大手出版社の編集者・遠藤道雄(田中圭)の力を借り、己の実力と奇想天外な作戦で、権威としがらみだらけの文学界をのし上がっていく。
監督:堤幸彦
原作:柚木麻子『私にふさわしいホテル』(新潮文庫刊)
出演: のん 田中圭 滝藤賢一 田中みな実 服部樹咲 髙石あかり / 橋本愛 橘ケンチ 光石研 若村麻由美
2024年製作/日本/98分/配給:日活、KDDI
12月27日(金)全国ロードショー
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