今週ご紹介するのは、江口のりこ主演の日本映画『愛に乱暴』です。無表情な中にもリアルが滲み出る彼女独特の表現力に魅力を感じる方は、私だけではないと思います。これまでは脇役としての存在感が強かったけれど、今年は『あまろっく』『お母さんが一緒』そして本作と3本の映画の主役を演じています。めずらしく今回はごく普通の主婦の役かと思いきや……。
~シネマエッセイ~
ウン十年前、自分の家庭を持った頃は食器を買うのが楽しみのひとつだった。デパートに出かけると必ず食器売り場を覗き、手の届く範囲で少しずつ好きなものを買い揃えた。旅行をすればその土地の陶器を旅の思い出にと購入した。ガサツな人間なのに、何故か食器を割らないのが自慢だった私。現在使っているご飯茶碗は20代の時に心斎橋の陶器店で購入したものだ。職場でのマイ湯呑は30年以上欠けさせることなく使い、今でも自宅で愛用している。そういえば、キッチンの一番深い引き出しに40年以上前に買い揃えたノリタケの洋食器のセットが眠っている。大皿、小皿、スープ皿、サラダ皿がそれぞれ5枚ずつ、紅茶碗5客と砂糖入れ……。新婚当時に選んだだけあって、淡いピンクの花柄である。近い将来、人生の終わりが見えてきたら、再びこのノリタケの食器に日々の食事を盛り付けて楽しみたいと思って保管していたのだった。
映画『愛に乱暴』の主人公である41歳の桃子は、お気に入りのティーカップをネットで見つけ、ペアで購入する。結婚8年目。家事を丁寧にこなし、母家に住む義母への気配りも忘れず、空いた時間には手作り石鹸教室の講師もしている桃子。充実した生活ぶりに見える。しかし、手に入れたティーカップを彼女が嬉しそうに見せるも、夫はカップに視線もやらず「よかったね」とだけ答える。日々の夫の言動に妻への愛情は感じられない。桃子はそれに気づきながら気づかないふりをしている。というか、絶対に気づきたくないであろう理由が後半に明らかになる。その少し前、大切に扱っていたティーカップが桃子の不注意で欠けてしまう。まるで、これから夫婦の間に起こる決定的な亀裂を象徴するかのように……。砂山が崩れるように、あっという間に自分の居場所がなくなっていく……そんな未来を8年前の桃子は想像していたのだろうか。
物語の途中までは、夫を冷たいと感じたり、義母を少々無神経だと思ったりして、観客は桃子に同情的だろう。そしていつか桃子のストレスが頂点に達し、スカッとする行動に出るのではと想像するかもしれない。けれど、そう簡単な図式でないから江口のりこがキャスティングされているのだ。2時間足らずの作品だが、けなげであったり、憐れであったり、恐怖であったりする江口のりこを堪能できるサスペンス映画となっている。
夫の実家の敷地内に建つ“はなれ”で暮らす桃子は、結婚して8年になる。義母から受ける微量のストレスや夫の無関心を振り払うように、センスのある装い、手の込んだ献立などいわゆる「丁寧な暮らし」に勤しみ毎日を充実させていた。そんな桃子の周囲で不穏な出来事が起こり始める。近隣のゴミ捨て場で相次ぐ不審火、愛猫の失踪、不気味な不倫アカウント…。平穏だったはずの日常は少しずつ乱れ始め、やがて追い詰められた桃子は、いつしか床下への異常な執着を募らせていく・・・。
原作:吉田修一『愛に乱暴』(新潮文庫刊)
監督・脚本:森ガキ侑大
出演:江口のりこ 小泉孝太郎 風吹ジュン 馬場ふみか
2024年/日本/105分/配給・制作:東京テアトル
https://ainiranbou.com/
8月30日(金)全国公開
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