【鳥飼美紀のとっておきシネマ】イギリス映画『２度目のはなればなれ』

2024.10.04

今週のとっておきシネマは、どちらも2度のオスカー受賞という名優マイケル・ケインとグレンダ・ジャクソンが、50年ぶりに夫婦役を演じた『2度目のはなればなれ』です。妻を演じたグレンダは、映画公開前の昨年6月にこの世を去り、本作が遺作となりました。

～シネマエッセイ～
日中以外はエアコンを使わない季節に、やっとなった。街路樹は猛暑にやられたのか本来の紅葉が始まったのか、散り急いだ葉が道路に折り重なって広がっている。車を走らせていたら畑のふちには真っ赤な彼岸花が咲き、コスモスも揺れ、周りが秋色に染まりつつある。〈三田の秋はつるべ落とし〉と、私は毎年この時期に口にしている。わが街三田は、夏が終わったら秋を感じる間が短く、すぐに冬になってしまう……そんな気がするのだが、今年はどうなるだろうか。つい昨日まで、朝も昼もアイスコーヒーを飲んでいたけれど、そろそろホットコーヒーが恋しくなってきた。新しい豆の袋を開けた時に漂う香り、飲み始めのアツアツから徐々に冷めていく余韻が恋しく、秋の始まりにホットコーヒーに切り替えたら、もう冷たいアイスには戻れない。コーヒーはブラックに限ると私は思っているが、昔は砂糖もクリームも入れて飲んでいた。そういえば、私の父はコーヒーに角砂糖を4個も入れていたなぁ……もちろんクリームも入れるから、もはやコーヒーではない代物になっていたのではないだろうか。

そんなことを思い出したのは、映画『2度目のはなればなれ』の冒頭シーンを観ていた時だ。
低く雲を広げ風の荒い海辺に立つ主人公のバーニー（バーナード）は、90歳になろうとする老人。思いつめたような表情で水平線を眺める彼は、ドリンクスタンドで紅茶を注文する。そして「砂糖4つ」と言い添えるのだ。洋の東西を問わず、あの世代はコーヒーや紅茶に砂糖どっさりの世代なのかと可笑しくなる。バーニーは退役軍人で、この物語は彼が申し込みしそびれた〈ノルマンディ上陸作戦70年記念式典〉に参加するため、妻と共に暮らす老人ホームを無断で抜け出しフランスへ渡ったという実話なのだ。実際に戦地で戦った人たちは、戦争について多くを語りたがらないという。想像を絶する経験や命を落とした戦友たちへの思い、自分が生きて帰ったことへの罪悪感など、様々な感情が交錯するのだろう。主人公バーニーにもずっと心の内に重い荷物があった。なぜ70年も抱えていたものを今になって？　それは人生の終わりが見えてきたからだ。今回を逃したらもう重荷を降ろす機会はやってこない。長年連れ添った妻のレネとは戦争で一度はなればなれになっているが、持病のある彼女を再び置いて、バーニーはひとりで旅に出る。バーニーとレネを演じる老優ふたりの佇まいとウィットに富んだ台詞が、いかにもイギリス人らしい。ラストには絆の強い夫婦だということが観る者に伝わる心温まる物語だ。ただ、タイトルは原題の『The Great Escaper』のほうが私の好みではあるなぁ……。

【ストーリー】
2014年夏。イギリスの老人ホームで寄り添いながら人生最期の日々を過ごす老夫婦バーナードとレネのある行動が世界中の大ニュースとなった。ひとりバーナードはフランスのノルマンディへ旅立つ。彼が行方不明になったという警察のツイート（#The GreatEscaper）をきっかけに、世界中で話題になったのだ。ふたりが離れ離れになるのは、人生で2度目。決して離れないと誓ったバーナードがどうしてもはなればなれにならなければならなかった理由とは…。必ず戻ってくると信じる妻レネの真実の想いとは…。