毎月第1木曜日は「水谷幸志のジャズの肖像画よもやま話」を配信しています。
ハニーFMのフリーペーパー「HONEY」vol.12〜32に掲載されていた水谷さんのコラム「水谷幸志のジャズの肖像画」では書ききれなかったエピソードや時代背景などをゆったりと振り返りながらお送りします。
当時のコラムと合わせてお楽しみください。
「HONEY」vol.14
ジャズの肖像画 第3回 Sonny clark (1931.7.21~1963.1.13)
疾風のようにジャズの黄金期を駆け抜けた哀愁の・・・は、よく用いられた常套句。でも、この使い古しのフレーズ、本国アメリカではアンダーレイテッドなパウエル派のピアニスト“ソニー・クラーク”の生き様をずばり言い当てている。
当時、私が好きだったピアニストは、ビル・エヴァンスとソニー・クラーク。スコット・ラファロを失ってからのエヴァンスは、前のりで突っ掛かるように走り。一方のクラークは後のりで、何か躊躇しているかのように溜めて弾きだす。その親しみやすいフレージングに何時までも心惹かれた。
クラークは、4才からピアノを習い始め6才の時にラジオ番組でブギブギ・ピアノを演奏したと言うから、かなりの神童だ。でも、クラークのキャリアはたった10年ほど。57年の春、活動拠点をLAからNYに移し彼の快進撃が始まるのだが、皮肉なことにクラークに残された時間は余りにも短かった。
よく聴いたのが「ソニーズ・クリブ 」の〈カム・レイン・オア・カム・シャイン〉。このナンバー、多くのジャズ・メンが取り上げ、ビル・エヴァンスは「ポートレイト・イン・ジャズ」では、気高さと深いリリシズムを漂わせる。対照的なのがクラーク、躓くような極スローなテンポで歌いだし格調高いバラードをレージーなカラーに塗り変える。
何度も針を落としたのは「ソニー・クラーク・トリオ」。同名のタンパ盤もあり紛らわしいが、鍵盤をモチーフにしたカラフルなブルー・ノート盤では、何と言っても〈朝日のようにさわやかに〉が聴きもの。クラークの飾り気のない右手だけで始まるイントロ。バックに急かされるように、とつ、とつ、と哀愁の旋律を弾き始めるのだが、このクラークを聴かずして〈朝日のようにさわやかに〉は語れない。最もグルービーな一枚は、コツ、コツと気取って歩く、今にもヒールの音が響いてきそうな「クール・ストラッティン」。このお皿・・・優れた作曲者としてその名を知らしめた作品でもある。63年の冬、クラークはNYのクラブで演奏中に麻薬の過度摂取による心臓発作を起こし、31才若さでこの世を去ってしまった。
不思議なことに、クラークはジャズ・ピアノのイノベーター、エヴァンスにも影響を与えていた。二人はNYに出てきた頃から親密な関係を築き、エヴァンスはその証として、クラーク没後直ぐに追悼曲〈N.Y.C.’s NO LARK・・・Sonny clarkのアナグラム〉を書き上げ、ソロ・アルバム「自己との対話」に遺している。私が、この二つの事実を知ったのは随分と後のことだが、5月にしては冷たい雨が降っていたその日、ミナミのジャズ喫茶から梅田まで、ただ黙って歩いて帰った事を今も覚えている。
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