毎月第1木曜日は「水谷幸志のジャズの肖像画よもやま話」を配信しています。ハニーFMのフリーペーパー「HONEY」vol.12〜32に掲載されていた水谷さんのコラム「水谷幸志のジャズの肖像画」では書ききれなかったエピソードや時代背景などをゆったりと振り返りながらお送りします(再生ボタン▶を押すと番組が始まります)
今回は、オランダ出身のジャズシンガー、アン・バートンを特集した「HONEY vol.19 秋号」を振り返りながら、ジャズバーとジャズ喫茶の違いや、当時の様子をお話しいただきました。
当時のコラムと合わせてお楽しみください。
「HONEY」vol.19
“Bang Bang”って歌、男にとっては、ちと辛く、キリキリと胸が痛む。ビートルズの来日騒ぎがあった1966年、ラジオで流れていたのは、ソニー・ボノとシェールの“Bang Bang”だった。まだ18歳のシェールは「子供の頃から身勝手なやつ、散々、私を弄び去っていった。あの人は私を撃ち倒したの・・・」と、少し背伸びをして歌っていた。でも、いま聴こえてくるのは、幾度か哀しみを味わった女が気負いもなく語るバラードだ。フレーズとフレーズとの間を「ゆったりと空けて」スローなテンポで歌う。その絶妙の空間に、澄みきったピアノの音がスーッと入り込んでくる。何とも沁みる“Bang Bang”である。
その歌との出会いは、大阪ミナミの小さなジャズ・バーだった。みずかけ不動さんの石畳を通り抜け、くねくねとした細い路地をさらに、奥の突き当たりまで足を進めると、外の喧噪を遮るように“つや消しの黒っぽい扉”が厭でも目に入る。そこが、私の行きつけのジャズ・バーであった。結婚以来、随分とご無沙汰していたが、久しぶりに頑丈だが少し傾いで重い扉を押してみた。バーは何時ものように薄暗く、ダウンライトの小さな明かりにカウンターだけが鈍く照らされていた。背の高いスツールに腰を降ろし、バーボンの瓶に無造作に立て掛けられたジャケットに私は目をやった。
そこには、物静かでクールな女の顔がポツンと浮かび、まるで、恋人を待っていたかのように、真っ直ぐに瞬きもせずに私を見据えた。そして、どうしようもない男の身勝手さを、身の上話をするように淡々と語りだした。女は翳りのある低い声で「私は5歳、彼は6歳、二人は木の枝の馬で遊んだ。彼は黒い服、私は白い服、彼はいつも勝つ方だった」と。そして不意に、バン!バン!と私を撃った。私の薄い胸は、物の見事に打ち抜かれてしまった。ピストルを撃ったのは、歌手のアン・バートンだった。アムステルダム生まれのオランダ人。頑なにキューと唇を閉ざした彼女の年は35か36歳。瓶に立て掛けられたアルバムは69年の「BALLADS& BURTON 」だった。その中にピストルが、いや私を撃った“Bang Bang”が入っている。67年の「BLUE BURTON」と対をなす彼女の代表作らしい。22歳の頃にプロ・デビューしているが、60年代の終わり頃から、ジワ、ジワと人気が出てきた遅咲きの歌い手である。パワーやテクニックを求めるより、どちらかといえば歌詞に込められた物語を淡いブルースの色に染め、アンティームな雰囲気を醸す歌手といえる。
歌物に疎い私に、シックなヴォーカルの味を教えてくれたバートンも、89年の秋、56歳でこの世を去った。不思議なことに、あのシナトラもバラード集「SHE SHOT ME DOWN」で歌っている。晩年のシナトラらしく、渋く枯れた歌声だ。でも、もし彼が、バートンを聴いていたら、きっと歌うのを躊躇ったと思う。