毎月第1木曜日は「水谷幸志のジャズの肖像画よもやま話」を配信しています。ハニーFMのフリーペーパー「HONEY」vol.12〜32に掲載されていた水谷さんのコラム「水谷幸志のジャズの肖像画」では書ききれなかったエピソードや時代背景などをゆったりと振り返りながらお送りします(再生ボタン▶を押すと番組が始まります)
今回は、アメリカ出身のジャズシンガー、アニタ・オデイを特集した「HONEY vol.20 冬号」を振り返ります。コラムでも取り上げた映画『真夏の夜のジャズ』、アニタ・オデイとの出会いなどを当時の梅田の様子も交えながらご紹介いただきました。
当時のコラムと合わせてお楽しみください。
「HONEY」vol.20
古い話だが、確か昭和35年の夏だったと思う。梅田の封切り館で観た映画は、『真夏の夜のジャズ』であった。このジャズを素材にした映画は、1958年の第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバルを写し取ったドキュメンタリーで、まだ“ジャズという音楽”を何にも知らなかった私に、そのイロハを教えてくれた入門書のようなものであった。でもこの入門書、単にレジェンドたちの記録に留まらず、気鋭の写真家バート・スタインらの手により‘50年代のおおらかな輝きに満ちたアメリカを、見事に描写した芸術的なフィルムとして、今も古典的な名画と賞賛されている。当の私は、フェスティバルの背景や価値など皆目分かっていなかったが、絶頂期にあったアニタ・オデイという白人女性歌手の名を、私の脳裏に鮮やかに焼き付けた思い出深い映画でもある。
で、そのシーンだが、「屋外ステージに現れたアニタは、黒っぽい、深い紺地のシンプルなドレスと、ふわ~っと柔らかで真っ白な羽根飾りを付けた、つばの広い帽子(むろんドレスとお揃えの色)と、まるでニューポートの社交界にデビューする貴婦人の装いであった。そして優雅に会釈し臆することなく歌い始めた。10分にも満たない僅かな時間だったが、アニタの真っ白な手袋と、深い濃紺のドレスと、白い羽根飾りの帽子と、それらが絶妙のコントラストとなり何ともお洒落。続いて、カメラが捉えた横顔が艶っぽくて」。ちょっと、18歳の男には、刺激が強すぎたが私はただ呆然とスクリーンに見入っていた…歌が終わり、「アニタ・オデイでした!」と、アナウンスされるまで、彼女の名も、何もかも、まったく知らなかった。あれから半世紀の時が過ぎて、私は“ジャズという音楽”にドップリと浸かり、ジャズの入門書『真夏の夜のジャズ』のDVDと、幾枚かのアルバムを手にすることが出来た。ハスキーな貴婦人アニタ・オデイは、「宵越しの金を持たない江戸っ子」気質。その気風の良さとドラッグ渦とが災いして、邸宅2軒とジャガーの高級車など総てを失い、晩年はアパート暮らしと質素な生活であった。‘80年代に入り、出版された自伝「ハイ・タイムズ&ハード・タイムズ」では、長くドラッグに溺れていた事などを赤裸々に綴り、インタビューでは「私はジャズ・シンガーではなくジャズ・スタイリスト」と潔く語っている。全盛期の歌声はクレフからヴァーヴ時代(1952年~1962年)に網羅されていて、様々な表情と、アニタらしい「ジャズ・スピリット」が味わえる。その16枚程から一枚を選ぶとなると難しい作業だが、一番アニタが美しかった頃の「This Is Anita」(1955年)を挙げたい。その中の一曲“I Fall In Love Too Easily”が私のお気に入り。何時もの粋なアニタとは趣が異なり、ほとんどフェイクをせずに「私って惚れっぽいの~ほんとにだめなの」と、情に弱い女の心情をしんみりとストレートに歌い、幾度聴いても思わずホロリとさせる名唱だと思う。