三田の歴史と文化
第57回 野鞍荘(ののくらしょう)と武庫川上流部の谷
写真・文/勝本淳弘(元小学校校長)
前回は青野川上流部から、広野地区の中世史の要と見える中荘・加茂神社の歴史へのアプローチを試みました。今回はこれに平行する西側の谷=武庫川本流に沿う野鞍荘(野々倉荘)の村々とその鎮守駒宇佐八幡神社を調べたいと思います。江戸時代に成立した村々にはそれぞれの鎮守のお社が在りますが、中世以来のより広い数ヶ村を含む郷(ごう)の鎮守が残っている場合があり、ここはその典型で8地区の繋がりや百石踊りの保存の核になっています。
武庫川は藍本をほぼ南に流下すると、曲り地区で鋭角的に流れを変え北東に進み幡尻川(はたじりがわ)(写真①)の水を加えて東に流れを変えて、ここから野鞍荘に入ります(旧本庄村)。八幡神社のある大音所(おおおんじょ)でゆるやかに南北の流れになり、須磨田をまっすぐ南下します。写真②は泰養寺(たいようじ)の山門から見た北方の山で八幡山の東。
駒宇佐八幡は、本殿・長床・舞殿が文化財に指定されよく知られています。今回は平安時代の雰囲気を伝えている随身門(ずいしんもん)(写真③)から見ていきましょう。皇族や貴族の守備に携わった随身が2体左右に配置されています。その次は大きな造りの長床で、半地下式の通路を通って拝殿下の広場に出ます。ここで11月23日に、年毎に上谷(かみだに)・下谷(しもだに)が交代して百石踊りを奉納しています。石段を登って本殿を拝見すると丁寧な力強い木彫群が神のエネルギーを感じさせるようです。(写真④)
ここで今回のテーマに直結する古い歌を紹介します。私が小学生の頃、運動会のマーチには運動唱歌が使われ、児童の一斉の歌声で行進しました。その始まりは「仰げば高し/八幡山/御山の姿/麗しや/伏せば澄けり/武庫の川/流れは絶えじ/永久に」と山川賛歌から続いて行き、更に「夏の暑さを/よそに見る/清き岩淵/水泳ぎ…」と歌われました。
写真⑤は岩淵で、武庫川はここでほぼ直角に西に流れ、野鞍荘の下谷=東本庄に入ります。岩淵は河川改修でその姿を一変し、渓流から平坦な浅い流れになりました。下谷は、3㎞近く西の国道176号線を超え、更に1.5㎞西にある湊川短期大学の裏山の頂きに至ります。野鞍荘の西端です。機会があれば下谷の文化財や城跡の紹介をしたいと思います。