今週のとっておきの1本は、永瀬正敏さんと長澤まさみさんが、江戸時代の天才絵師・葛飾北斎父娘を演じた『おーい、応為』をご紹介しましょう。「美人画では敵わない」と北斎も認めるほどの才能を持ち、自らの意志で父・北斎と共に生きる選択をした娘のお栄。北斎から“応為”という号を授けられ、当時は珍しかった女性の絵師として現代的な強さと自由な心で絵を描くことに生涯を捧げます。日本のレンブラントとも称される応為が残したわずか数十点の貴重な絵の中から、「吉原格子先之図」「夜桜美人図」「百合図」、また北斎の「富士越龍」などの素晴らしい作品も出てきて、眼福が味わえますよ。

©2025「おーい、応為」製作委員会
シネマエッセイ
数えてみると、私は生まれてから今日までに11回引っ越しをしている。幼馴染の親友Tちゃんは生家から婚家への1回きりなので、それと比べると異常な回数のような気がしないでもない。海辺の小さな村でおぎゃ~と誕生して100日ほどで、隣の小さな城下町に引っ越した。もちろん最初の引っ越しについての記憶は全くない。それから関西に出てくる小学校高学年までに4つの家に住んだ。いずれも両親の勤める会社の社宅である。小さな街で同じ会社に勤めているのに、どうしてあんなに引っ越しをしたのだろう? 4軒の社宅で過ごした日々の断片は、今でも私の心にくっきり残っている。工場の中にあった最初の社宅では、雪のクリスマスに仔犬を拾った。2番目の家のトイレには竹が生えていてジャングルのようだった。3番目の家ではバターを丸ごと食べてお腹を壊した。4番目の家では風疹に罹り熱にうなされた。5番目は再び海辺の村の生家に戻る。台風の夜、近所の人たちが我が家に避難してきて賑やかだった。関西に移り住み、6番目の社宅の窓からは世界一速い新幹線の走る姿が見えた。7番目の家では裏庭に小さな子ども部屋を増築してもらう。8番目は幸運にも父親が抽選で引き当てた新築の団地で、人生初めての洋式トイレに家族全員小躍り! 結婚して住んだ9番目の公務員宿舎では、お正月に夫婦喧嘩して徹夜で作ったおせちを放り投げた私。10番目は初めて自分たちで購入した超高層マンション。阪神大震災に遭い、とんでもなく怖い思いをした。そして現在の一軒家に引っ越して30年が過ぎ、やっと落ち着いた感がある。どの家での思い出も、ほんの小さな取るに足らない出来事なのに、今でも忘れることができないでいる。
映画『おーい、応為』の中で、北斎(鉄蔵)と応為(お栄)の父娘も、火事や災害の理由で長屋から長屋へリヤカーに荷物を括りつけて何度か引っ越しをする。現在、浮世絵専門の美術館である太田記念美術館(東京)のコラムには、北斎は90歳の生涯で93回も引っ越しをしたらしいと書かれている。北斎がなぜそれほど引っ越しをしたのか? どうやら掃除が苦手で、家の汚なさが限界に達すると引っ越していたのではないかと。そんな様子も映画の中で描かれるが、北斎父娘の思い出は平凡な私とは違って、どの家でもただただ夢中で絵を描いたことのみであろう。

©2025「おーい、応為」製作委員会
ストーリー
北斎の娘、お栄はある絵師のもとに嫁ぐが、夫の絵を見下したことで離縁となり、父のもとへと出戻る。父娘にして師弟。描きかけの絵が散乱したボロボロの長屋で始まった二人暮らし。やがて父親譲りの才能を発揮していくお栄は、北斎から「葛飾応為(おうい)」(いつも「おーい!」と呼ばれることから)という名を授かり、一人の浮世絵師として時代を駆け抜けていく。美人画で名を馳せる絵師であり、お栄のよき理解者でもある善次郎との友情や、兄弟子の初五郎への淡い恋心、そして愛犬のさくらとの日常…。嫁ぎ先を飛び出してから二十余年。北斎と応為の父娘は、長屋の火事と押し寄せる飢饉をきっかけに、北斎が描き続ける境地“富士”へと向かうが…。

©2025「おーい、応為」製作委員会

©2025「おーい、応為」製作委員会
監督・脚本:大森立嗣
出演:長澤まさみ 高橋海人 大谷亮平 篠井英介 奥野瑛太 寺島しのぶ 永瀬正敏
2025年製作/日本/122分/配給:東京テアトル、ヨアケ
10月17日(金)全国公開
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