毎月第1木曜日は「水谷幸志のジャズの肖像画よもやま話」を配信しています。ハニーFMのフリーペーパー「HONEY」vol.12〜32に掲載されていた水谷さんのコラム「水谷幸志のジャズの肖像画」では書ききれなかったエピソードや時代背景などをゆったりと振り返りながらお送りします(再生ボタン▶を押すと番組が始まります)
今回はリー・ワイリーを紹介しました。
当時のコラムと合わせてお楽しみください。
「HONEY」vol.17
歌手、リー・ワイリー。今では味わうことが出来ないノスタルジックな雰囲気を醸す、エレガントで華のある人。その彼女、チェロキー・インディアンの血が少し流れ、私好みの‘うりざね 顔’に緑の黒髪が映る。そう、薄いピンクの花びら「ローゼンドルフ・スパリシュホープ」のように気高く香る。でも、そのバラ、大きく鋭い棘を持ちうかつに手を出せないのが随一の難点だ。
ワイリーは、40年を超えるキャリアがあるが、その気位が災いしたのか私たちが手にするレコードは数少ない。しかし、ヴォーカル・ファンなら誰もが知る「ナイト・イン・マンハッタン」を残している。このアルバム、50年代のハイソな社交場を写し撮ったモノクロ調のジャケットが何ともお洒落。さらに、私が一目惚れした彼女の首から肩への、なんとも楚々と優雅なこと。この名盤の冒頭を飾るのがロジャース&ハートによる初期の作品〈マンハッタン〉。この作品を歌うために生まれてきたと称されたワイリーは、「心はずませ、初夏のマンハッタンを巡り歩く、若き恋人たちの姿を」ハスキーな歌声でほのぼのと綴る。ニューヨークという魅惑的な街が、最も輝きを放っていた、そんなよき時代が歌と伴に鮮やかに蘇ってくる。
よく歌手は楽器のように歌うというが、スタン・ゲッツやアート・ペッパーらは、一瞬の閃き、インプロビゼーションを研ぎ澄まし、まるで歌うように演奏する。大人の歌手ならば、ホーン・ライクに歌うのは彼らに任し、彼女のように、粋にエレガントに物語を語って欲しいと思う。そんな当たり前のことが分かったのも、彼女の歌に耳を傾けるようになったつい最近のこと。私が、「ジャズと言う不思議な魅力を持つ音楽」に嵌ったのは、まだ、大阪の通りに市電が走っていた、梅田コマ近くのジャズ喫茶が始まりだ。黒々としたリズムが脈打つファンキーなジャズが流行はじめ、トラッドなお洒落で身を固めた若者がたむろしていた。それいらい、幾年かの貴重な時間と、なけなしの金をジャズ喫茶に費やす羽目になる。その見返りといえば、日に灼けた肌に真っ白なTシャツが馴染むように、私の躯には、「ジャズという音楽」が今も色褪せず息づいている・・・たった、それだけだ。今夜もお気に入りのグラスと酒を手に、一目惚れのお皿をターンテーブルに載せる。シュル・シュルと針が溝を擦る音と共に、ディキシーとモダンが同居する懐古的なボビー・ハケットのトランペットが流れ始める。そのくすんだ、つや消しの音色にエスコートされ、リー・ワイリーは♪マンハッタンは私達のもの~♪と唄い出す。