「水谷幸志のジャズの肖像画よもやま話」では、ハニーFMのフリーペーパー「HONEY」vol.12〜32に掲載されていた水谷さんのコラム「水谷幸志のジャズの肖像画」では書ききれなかったエピソードや時代背景などをゆったりと振り返りながらお送りします(再生ボタン▶を押すと番組が始まります)
今回は、アメリカのジャズヴォーカリスト、ビヴァリー・ケニーを特集した「HONEY vol.22 夏号」を振り返ります。名門レーベルのルーストに3枚のアルバムを残し、その後も多くの作品を発表した彼女の魅力に迫ります。
当時のコラムと合わせてお楽しみください。
「HONEY」vol.22
40年代半ばから50年代にかけて、スタン・ゲッツの「ザ・サウンド」など、数々の名作を世に送り出したジャズ・レーベルがある。言わずと知れたルーストの事だが、その名門レーベルに3枚のアルバムを残した歌手がいた。その名をビヴァリー・ケニーと云い、32年4月に、ニュージャージー州の小さな町、ハリソンで生まれ育った。彼女のファースト・アルバムは、55年の「ビヴァリー・ケニー・シングス・フォー・ジョニー・スミス」。まだ22才の初々しい彼女に名手ジョニー・スミスがスインギーにギターを奏でる。2枚目は、ラルフ・バーンズのアレンジと指揮によるハイ・ブローな「カム・スイング・ウィズ・ミー」56年(録)。3枚目は、カウント・ベイシー・バンドの強者たちが容赦なくブローを浴びせる「ビヴァリー・ケニー・シングス・ウィズ・ベイシー・アイツ」57年(録)である。他にヴォーカルの老舗デッカにも3枚のアルバムを残すが、なんと言ってもルースト時代の、切れ長の大きな瞳に魅入られてしまう。ビヴァリーの魅力を一言で表現すると「天性のキュートな歌声」である。彼女は、「ビリー・ホリディとクール時代のゲッツのプレイに大きな影響を受けた」と語っているが、ちょっと舌が絡むような愛らしい声で、何とも滑らかなフレージングで歌う。だが独学でマスターした歌の声域は狭く、高音は微妙にかすれ、ちょっと苦しげだ。しかし、その‘か細げな’かすれ具合が、クールな可憐さを醸しだす。彼女はマンハッタンの下町、ビートニック詩人がたむろするグリニッチ・ビレッチのアパート・メントに住み、界隈のクラブなどで歌っていた。また伝説のビート詩人、ジャック・ケロワック(60年の映画「地下街の住人」の原作者、作家)とジャズ・クラブ、ヴィレッジヴァンガードで共演するなど、独創的な解釈で歌を表現するヒップなシンガーであった。でも日本では、60年4月にビヴァリーが28才で夭折したせいか、その名が知れるのに随分と時間を費やし、彼女の歌声を耳にしたのは70年代に入ってからである。当然のことだが私たちが彼女の姿を拝むことは一度も叶わない。せめてもの慰めは、最近になり未発表シリーズの3枚がリリースされ、全部で9枚のアルバムを黙って見つめること・・・只それだけだ。